私の愛するとらネコ「ミューニャン」が天国に旅立ってから1年が過ぎた頃、私の身体に異変が・・・

そうなんです。私は昼間は「レインボー塾」の先生として、夜になると、とらネコの「マダムM」として、ネコの仲間達と一緒に過ごす毎日を送っているのです。

 

今夜は雲が月を覆っていて、何だかうす暗い夜です。

私は巨大マンション群のある所にやって来ました。

何棟もの10階建てマンションが立ち並び、コの字に建っているマンションの間に、広い中庭があります。

西洋風のこの造りが人気を呼んで、マンションにはたくさんの人が住んでいます。おしゃれな街並みを造っているのです。

中庭は、タイルを敷き詰めた部分と、芝生の部分があります。

テラスのようになっている所には、カフェが入っていて、住民は安い値段で、ケーキも食べることができます。

西洋風のタイルを敷き詰めた場所には、錬鉄製のベンチが置いてあり、木々が木陰を作っています。今はポツンポツンとシルエットになっていますけどね。

おしゃれな中庭には、青々とした芝生が敷いてある部分があって、住民達は日向ぼっこをしたり、ピクニックをしたりして休日の昼下がりを楽しんでいます。

今は黒々とした影になっていて、街灯の明かりが届くところだけ鮮やかなグリーンが浮かび上がって見えます。

私は、芝生の上を歩いていました。

肉球が夜露に濡れて、ちょっと不快だけど、芝生の匂いは清々しくて好きです。

マンションのネコ達は、家の中で大人しくしている子が多いです。

外を歩き回りたくても、何と言っても10階よ!どうやって降りてくるの?

中にはエレベーターをうまく使って降りてくるターシャのようなネコもいるけどね。

ターシャは8階に住んでいるマンチカンです。

時々ドアを抜け出して、誰かがエレベーターを使うのを待っています。

住民がエレベーターに乗った隙に、堂々とエレベーターに乗って地上に降りて来ます。あっぱれです。

ターシャは服を着せられて、いつもオシャレをしています。でも、本人は内心嫌がっていて、脱ぎたくてしょうがないのです。

「素敵な毛皮があるのに、何でこんなもの着ないといけないのか理解に苦しむわ。ウチの住人が趣味で作っているから、仕方なく着てるけどね。」というのが、本人の言い分です。

マイダーリンに服を作る趣味がなくて良かった!

1階のネコ達は、わりと自由に外に出かけています。

ベランダのフェンスの隙間から軽々と出て、歩道を歩いて来ます。

毛足の長いペルシャネコのシャルタンも1階に住んでいるので、今は中庭のベンチの上に座っています。

「おや、珍しいねえ。マダムMじゃないか。ずいぶん長い間姿を見せなかったじゃないか。心配してたんだよ。」

シャルタンは長い毛を舐めながら言いました。

「こんばんは。シャルタン。元気そうね。相変わらず綺麗な毛並みねえ。ツヤツヤしてるわ。」

私がタイルの道を歩いていくと、

「へえ。マダムMってまだ生きてたんだ。」

と失礼な声が聞こえました。

キッとなって振り向くと、斑らネコのスルーが走りながらこちらにやって来ました。

スルーはスリムな身体で、どこでもスルーできるのです。

「生きてますよ。この通りね。元気ですよ。」

私は少しムッとして言いました。

でも考えてみれば、スルーがそう思うのも無理もありません。

愛するとらネコ「ミューニャン」が天国に旅立ってから1年が過ぎた頃・・・

ううっ!悲しすぎる!ミューニャーーーーン!

私があなたの後を引き継いでいるから、安心して天国で安らかに眠っていてね。

眠るのかどうかわからないけどね。グスン。

また思い出してしまった!寂しいよお、ミュウニャーン

「元気で良かったよ。それに相変わらず・・・」

「相変わらず何?」また同じ展開だ。誰もが同じことを言うのね。

「いや、相変わらず逞しいねえ。」

逞しいときたか。ブヨブヨだけどね。フン。

「ところで、俺がくる時、ちびっ子の俊介がベランダのフェンスのところにいたけど、知ってる子かい?」

スルーはシャルタンのいるベンチの下に移動しながら言いました。

「俊介ならレインボー塾の『キッズSST』に通っている子だけど、今頃何でベランダにいるんだろうね?」

私はスルーの後を追って、シャルタンの座っているベンチの横に行きました。

街灯が所々付いているので、中庭の遊具がぼんやり見えます。

ブランコが風に押されてユラユラ揺れています。

砂場には、子ども達の作った山やトンネルが残っています。

大小の鉄棒はシルエットになって、人が手を広げて立っているように見えます。

昼間は子ども達の歓声で活気付いている公園も、今ではひっそりとしています。

「俊介は今日、幼稚園で問題があったみたいだよ。」

そう言いながらマンションの陰から出て来たのは、1階に住むメインクーンのサブでした。

サブは昔は野良猫でしたが、危うく保健所に連れて行かれるところを今の家族に助けられたのです。

サブは俊介の家の向かいのマンションに住んでいて、俊介の家の様子が見えるのです。

「問題ってどんな?」

私は心配になって聞きました。

俊介は幼稚園の年長クラスで、年齢の割には背が高くて、とにかくよく喋る子どもです。

動物が大好きで、本人もネコを飼いたがっていましたが、妹がネコアレルギーなので飼ってもらえなかったと言っていました。

俊介は大人顔負けの知識があって、色々な話をしてくれます。

幼稚園児なのに、字も読めるし、ひらがな・カタカナを書くこともできます。

図鑑や辞書が愛読書です。暇があれば、図鑑を見て知識を増やしています。

宇宙にも興味があって、人工衛星や星の名前も知っています。

あまりに頭が良すぎるので、他の幼稚園児と話が合わないのかもしれません。

お父さんは大学教授で、いつも書斎に入って難しい研究をしているそうです。

お母さんも昔は大学の研究室にいたそうですが、俊介を産んでからは、家で専業主婦をしているそうです。(これ、みんな俊介が話してくれたことです)

「何って、よくわからないけど、お母さんが慌てて幼稚園に俊介を迎えに行ったらしいよ。妹のリリカをお隣に預けて行ったから、相当時間がかかったんじゃないかな?」

サブはリリカのことまで、よく知っていると感心しました。

俊介の妹のリリカは年少クラスで、俊介とは2歳違いです。

リリカは年齢よりも小柄で、線の細い印象です。

俊介が喋る分、リリカは物静かで、あまり話をしません。

人形遊びやままごとをするのが好きで、自分の世界にどっぷり浸かっているそうです。(これも俊介の言葉です)

「いつ幼稚園から帰って来たんだろうね?」

シャルタンがベンチの上で毛づくろいをしながら言いました。

よっぽど毛並みが気になるようです。

「確か夕方遅くだよ。もう夕飯の時間なのに、お母さん、テーブルで頬杖をついてぼーっとしてた。何も作る気にならないみたい。」

サブが詳しい情報を教えてくれました。

よっぽどのことがあったんでしょうね。お母さんがそんなに意気消沈しているんだから・・・

「私、俊介の様子を見てくるわ。」

私はベンチの横から、タイルの道を歩いて行こうとしました。

「私もそろそろ帰るわ。」

ベンチから飛び降りながら、シャルタンが言いました。

「1階のチャミーにも聞いてみようか?」

シャルタンはしっぽを立てて歩きながら言いました。

「チャミーは俊介と同じマンションだからよく知ってるかもしれないわね。聞いてみてくれる?」

私は三毛猫のチャミーを思い浮かべながら言いました。

チャミーは噂好きのネコです。

きっと色々な情報を持っているでしょう。

「俺も向かいのマンションだから、見ていてあげるよ。」

サブが颯爽と駆けながら言いました。

「ありがとう、みんな。」

私はみんなにお礼を言って、タイルの道を俊介のいるマンションまで、足早に歩いて行きました。(本人はそのつもりだけどね)

マンションの間は、木が植えられていて、花壇には花が咲き誇っています。綺麗に整備された歩道にはチリ1つ落ちていません。

俊介のいるマンションは、中庭から少し離れています。

1階の部屋の電気は、もう消えている所が多くて、ひっそりとしています。

 

俊介の部屋の前に来ました。

暗いベランダに俊介がしゃがみこんでいるのが見えました。

フェンスの隙間から覗いてみると、俊介の顔は涙で濡れていました。

私は地面から伸び上がって、ベランダのフェンスに手をかけました。

「あれ、お前見かけないネコだね。そんなにでぶっちょじゃあ、ここには上がれないな。」

俊介が私の手に触れながら言いました。

何ですって?ネコがこのフェンスを通り抜けられないとでも?

ネコは頭が入ったら、身体もすり抜けられるのよ!

でも、もしかして無理がある?

私は試しにフェンスの隙間に頭を入れてみました。

スルッ!入ったわ!ちゃんと通れたじゃない。

「エッ!入る気でいるの?無理だよ。お前自分の身体わかってる?相当でぶっちょだよ。」

俊介はそう言いながらも、フェンスを抑えてくれました。

肩はどうかしら?頭が入ったんだから、肩も入るはず。

スルッ!キャー入ったわよ!凄い。

ここまでくれば、後はお腹を入れるだけよ!簡単簡単

えーッ!入らないわ。どうしよう!!フェンスに挟まっちゃったじゃない!助けてー

「だから無理だって言ったんだよ。お腹がつっかえて挟まっちゃったじゃないか!」

俊介は大笑いして私を見ています。

見ている場合じゃないでしょ!挟まってるのよ!どうしたら良いの?

その時、スルーがそばを通りかかりました。

「マダムM、悪いけど見ていられないね。フェンスは端っこが少し幅が広いんだ。そこから入れば良いよ。」ニャーんニャーん

「そんなこと言ったって、ここから出るのが先よ!どうしたら良いのよ。」ニャニャニャオーン

「お尻から下がれば良いんだよ。後ろ向きに降りる感じでさ。」ニャ

スルーはアドバイスをしながら、私のしっぽを咥えました。

「お友達が助けに来てくれたんだね。優しい友だちが居て良かったじゃないか。」

俊介は私の頭を撫でながら言いました。

そりゃあ優しい友だちがいて本当に良かったわよ。ここから出られればね。

私はゆっくりと後ずさりをするようにフェンスの間から出ようとしました。

お腹がつっかえているので、少しでもお腹を引っ込めようと思いっきり息を吸い込みました。

そしたら、スポッ!抜けたんです。やったわ!ガッツポーズね!!

お腹が抜けたら、次は肩、頭です。これは楽勝!

私は死ぬ思いでフェンスを抜け出しました。

どこも怪我はしていないみたい。こんな所で骨折していたら大変!

「ありがとう!スルー。あなたは命の恩人じゃなくて恩ニャンね。」ニャオーンニャン

「大げさだなあ。フェンスに挟まっただけじゃないか。まあダイエットをお勧めするけどな。」ニャンニャンニャーん

「良かったなあ。でぶっちょネコくん。フェンスから抜けることができて。」

俊介が嬉しそうに笑いました。

ええええどうせデブネコですよ。こんな災難に遭ったのも、お腹の贅肉のせいですもんね。こんな屈辱ってある?

「フェンスの端っこだぜ。忘れるなよ。」

スルーはその場を離れずに言いました。

きっと心配で、私がベランダに無事に上がれるのを見守ってくれているのでしょう。

さあ、気を取り直して!リベンジよ!(何に対するリベンジだか)

今度はフェンスの端っこを狙って入ることにしました。

フェンスの端っこは、確かにさっきよりも幅が広いように思います。

まず頭を入れて。これは大丈夫。肩を入れて。これも楽勝楽勝

最後はお腹よねえ。ムギューッ!フニフニ!ムギューッ!フニフニ

ハアハア、何とか通り抜けたわ!!!入ったのよ、私。

「良かったな。」

息を詰めて見守っていてくれたのか、スルーがふうッと息を吐きながら言いました。

「本当にありがとう!感謝感激雨あられね。」ニャニャニヤ

「チンプンカンプンだけど、お礼の言葉だよな?良いってことよ。

俊介をよろしく!」ニャオーン

スルーは意気揚々と帰って行きました。

「お前根性あるなあ。感心したよ。よく上がってこれたね。」

俊介は私の頭から背中を撫でながら言いました。

そうでしょうとも。あなたのことが心配で、頑張ったわ。ニャーん

「本当にデブッチョだな。お腹が下に着きそうだよ。何食べてるの?」

幼稚園児とは思えない暴言!やはり只者じゃないわ。ニャーン

しばらく俊介は私の背中を撫でていました。ニャニャーン

私はベランダの床に腹ばいになって、俊介の手が背中で動くのを感じていました。

「幼稚園なんか大嫌いだ。幼稚だから。」

そりゃあ幼稚園っていうぐらいだものね。幼稚ねえ。ニャオーン

「お絵かきやお遊戯なんてやってられないよ。」

そうでしょうね。図鑑を見ていたいものね。ニャーン

「ブランコは好きなんだ。」

ユラユラ揺れるのって、気持ちいいわね。ニャーンニャーン

「でも、ケンタのヤツが独り占めしてたんだ。」

はあ、ブランコで何かあったのね。ニャニャ

俊介は腹ばいになった私の肩から腕にかけて撫でました。

「ケンタなんて何にも知らないヤツなのに。」

??どういうこと?ニャーンニャン

「動物のことも、植物のことも、宇宙のことも・・・なーんにも知らないのに威張ってるんだ。」

そりゃそうでしょ。幼稚園児がそんなこと知ってる方がビックリよ。まだ5年ぐらいしか生きてないのに。

俊介は今度は私の肉球をプニュプニュしました。これも気持ちいいのよね、プニュプニュ ニャーン

「今日だってケンタがいつまでもブランコを独り占めしているから替われって言ったんだ。でもケンタは『お前は変人だから替わらない』って言うんだ。」

なるほど、ケンタは俊介に変人って言ったのか。幼稚園児がそんな言葉どこで覚えたんだろ?ニャーンニャーンニャン

「変人って辞書で調べたら、変わった人ってことだった。何が変わっているのかさっぱり分からないけど、だからってブランコを替わらない理由にはならないと思うんだ。」

ホント、何度も言うけど5歳児とは思えない発言ねえ。あなた年齢をごまかしてませんか?ニャーンニャーん

「だから、変人でもブランコに乗る権利があるって言ったんだ。」

ヒエーッ!権利なんて言葉、小学生でも知らない子が多いんじゃない?

「でもケンタのヤツ、はあっ?って顔してるから、ブランコを貸してくれないなら奪うぞって言ったんだ。」

俊介は肉球に触るのを止めて、今度は私の顎の下を撫でました。

そこは本当に気持ちいいのよね。ゴロゴロゴロゴロニャーン

「気持ちいいの?ゴロゴロって言ってる。」

俊介は私の耳の後ろを指で掻くように撫でました。

ウーン良い気持ち!ゴロゴロゴロゴロ

「でも、ケンタは奪えるもんなら奪ってみろって言ったんだ。」

ニャルホド。何となくわかってきたわ。ニャオーンニャン

「それで、ブランコを奪おうとしたら、ケンタのヤツ、ブランコから落ちて、ブランコの板で頭を打ったんだ。血がドバーッて出てきて大騒ぎになったんだよ。」

ヒエーッ!流血騒ぎですか?それは大変!ニャニャニャーニャン

「救急車が来てケンタが病院に運ばれてさ、先生は俺が悪いって決めつけてメチャクチャ怒ったんだ。」

まあそりゃそうでしょ。頭を打ったんなら大変なことだものね。

命に関わる大ごとですよ。ニャニャニャニャーンニャオーン

「お母さんが幼稚園の園長に呼ばれて、いろいろ言われたみたいなんだ。『もうあなたを育てる自信がなくなった』って言われた。」

俊介は私の首に腕を回して頰をすり寄せて来ました。

私は俊介のほっぺたを舐め舐めしました。ナメナメニャーン

「くすぐったいなあ。お前の舌ってザラザラしてる。」

どっかで聞いたセリフ。ああ涼太もそんなこと言ってた。(第6話 とらネコせんせい 濡れる)ニャーン

「ケンタは病院で頭の手術を受けたんだ。頭に血の塊が出来てたんだって。お母さんは、僕の顔も見たくないって。」

そんなことを言われたんだ。辛いよね。ニャニャニャニャオーン

私は俊介のほっぺたを舐めたり、手を舐めたりしました。

お母さんが大好きな俊介です。

顔も見たくないなんて言われたら・・・私だったら死にたくなるほど悲しいわ。

「お父さんはまだ帰ってないけど、きっと帰って来たら叱られる。」

俊介は、私を抱こうとしました。でも、重すぎたのか抱くことはできませんでした。ニャニャニャ?

「お前ホント重いなあ。抱っこしようと思ったのに・・・」

俊介はベランダの床に座って、私を膝の上に乗せようとしましたが、私は半分ずり下がった形になってしまいました。

エーッ!それって私が巨大になったみたいじゃないの!

重すぎて抱けないなんて、なんたることよ!ニャニャニャ?

それでも、俊介のお腹はあったかくて、ずり下がっていても一緒にいるって感じです。

「僕、本当にケンタをブランコから落とすつもりなんて無かったんだ。ただ、ブランコを奪おうとして・・・でもやっぱり僕のせいだよね。」

俊介は私の目を見つめながら、言いました。ニャオーン

辛いよね。悲しいよね。自分はそんなつもりじゃなくても、相手に怪我をさせてしまったんだもの。ニャーンニャオーン

「お前、僕の気持ちわかるの?お前だけだよ。みんな僕が悪いって言うんだ。先生も、園長先生も、お母さんも・・・もう幼稚園に行きたくない。」

俊介は私を抱きしめながら言いました。

可哀想に。思わぬ惨事に本人も深く傷ついているのです。

「この家も出て行かなくちゃ。お母さんに顔も見たくないって言われてるし・・・お前一緒に行く?」

えーっ!それはやめておいた方が・・・5歳児の家出がうまくいくとは思えないわ。

どんなに賢くても俊介はまだ幼稚園に通っているのよ。

お家にいるのが一番です!ニャニャニャニャーン

「ダメって言ってる?やっぱり無理があるよね。お金もないし・・」

俊介と半分ずり下がって抱かれている私は、しばらくフェンスの外の木や歩道や花壇を見ていました。

ガラッ、ベランダのガラス戸が開く音がしました。

「俊介、入りなさい。話を聞こうか?」

俊介のお父さんが言いました。

俊介は私をギューっと抱きしめました。

まるで、溺れた人が命綱にしがみつくように。

「おや、その大きな物体は何だね?」

お父さん、それは失礼ってものよ。大きな物体って。ネコですよ!

「このネコ、フェンスの間をすり抜けようとして、フェンスに挟まっていたんだ。」

おいおい、それを言う?忘れかけていた屈辱の瞬間を!

「ネコかい?随分大柄だなあ。でもリリカにアレルギーがあるから、ネコは置いて来なさい。服の毛も払ってな。」

お父さんは静かに言いました。

怒っているようには見えませんでした。

「わかった。でぶっちょネコちゃん。一緒にいてくれてありがとう。」

そう言って俊介は私の頰にキスをしました。

キャーッ!若い男にキスされた!って5歳児ですけどね。

「こっちに渡してごらん。」

俊介はお父さんに私を預けました。

お父さんは、私をそうっと抱いて、フェンスの外に出してくれました。

「また、挟まったら大変だからね。気をつけてお帰り。」

お父さんはそう言って、俊介と一緒に部屋に入って行きました。

お父さんは俊介の話を聞いてくれるんだろうか?

穏やかで優しい感じだったけど、人は見かけによらないって言うし。

そんなことを考えながら、中庭のベンチまで歩いて行きました。

シャルタンが座っていたベンチに見覚えのある人影が・・・

マイダーリンです。

駐車場にいるのかと思ったら、ベンチまで迎えに来てくれたんだ。ありがとう!ニャーン

「もう用事は済んだのかね?そろそろ帰ろうか?雨が降ってきそうだよ。さあおいで。」

マイダーリンが私を抱き上げながら言いました。

「今日はどんなことがあったのかね?」ニャオーン

 

 

数日後の金曜日の午後です。

レインボー塾の『キッズSST』に俊介がやって来ました。

今日はお母さんと一緒です。

お母さんはレインボーサロンに入って行きました。

レインボーサロンは、SSTを受けている子ども達の保護者が待っている部屋です。

 

俊介はちょっと気落ちしている感じで、ウエイティングルームに入って行きました。

ウエイティングルームというのは、早く来た子ども達が、SSTが始まるまで待っている部屋です。

図鑑や物語の本が棚にたくさん入れてあります。

ブロックやゲームも置いてあります。

ジグソーパズルやカルタ、カードゲームなどを置いてある棚があって、子ども達は自由に使うことができます。

子ども達が制作したおもちゃも置いてあります。

ダルマ落とし・ドミノ倒し・輪投げ・ビー玉転がし・・・などなど

壁際にはソファーが置いてあります。

ドリンクバーには、水とお茶が用意されています。

俊介は図鑑のコーナーに行って、いろいろな図鑑の中から宇宙の図鑑を選びました。

ソファーに座って図鑑を見始めました。

でも、図鑑を見ているようで、上の空っていう感じです。

何か考えているようです。

ベランダでネコの私に会った後、どうなったのか気になりますが、自分から言い出さない限り聞くことはできません。

だってネコだったんだもの!私だって言えないわ!

 

『キッズSST』が始まりました

 

最初はウォーミングアップです。

『キッズSST』では、遊びながら身体と心を鍛えるトレーニングをしています。

 

今日は、忍者ごっこです。

忍者ごっこは、子ども達の大好きな遊びです。

忍者になっていろいろな修行をします。

登り棒に登って、雲梯を渡って行きます。

一本橋を渡って、でんぐり返しをします。

跳び箱に飛び乗って、梯子を登ります。

梯子の先に手裏剣(折り紙で作ったもの)が貼ってあるので、それを取って下ります。

手裏剣をストラックアウト(城の形)に向けて投げます。

城のお堀(ビニールの池があります)に落ちないように平均台を渡って行きます。

最後にトランポリンに乗って大きく跳ねます。

 

俊介は身体が大きいので、登り棒も雲梯も軽々こなして行きます。

一本橋も身体がブレることなく渡って行きました。

跳び箱の上にも楽々飛び乗り、梯子を登って行きました。

手裏剣を手にして、お城のストラックアウトに投げました。

でも俊介の投げた手裏剣は遠くに飛んでしまい、ストラックアウトを飛び越してしまいました。

俊介は呆然と手裏剣が飛んで行った方を見ています。

「俊介、これ君が投げた手裏剣だろ?」

キョウタが手裏剣を持ちながら走って来ました。

「勝手に取るなよ。僕が拾いに行こうとしてたんだ。」

俊介がいつもと違ってイライラした声で言いました。

「拾ってあげたんだから、礼ぐらい言えよ。」

キョウタは怒って言いました。

「拾ってくれなんて頼んでないし。勝手に取ったんじゃないか。礼なんてしないね。」

俊介が声を荒げて言いました。

「取ってないよ。拾ってあげたんじゃないか。あんな遠くに飛ばしたくせに。下手なんだよ。」

キョウタは不満そうに言いました。

「下手だと。お前なんか何にも知らないくせに。」

「手裏剣の投げ方なら知ってるよ。お前よりうまいよ。」

キョウタが手裏剣を投げました。

お城のストラックアウトに見事に当たりました。

「お前は下手だから当たらないんだよ。」

キョウタは自慢そうに言いました。

「お前動物のことは知ってるか?宇宙の秘密のことも知らないだろう?お前なんか手裏剣投げができるだけじゃないか!」

俊介は大声で怒鳴りました。

そこへ高田さんが来ました。

高田さんは作業療法士で、この忍者ごっこのインストラクターです。

「どうした?何か問題があったか?」

高田さんは穏やかに聞きました。

「俊介が、せっかく拾ってやった手裏剣を、僕が取ったって言うんだ。自分が遠くに投げたくせに。」

キョウタが憤慨して言いました。

「そうなの?俊介。拾ってもらったの?」

高田さんが俊介と目を合わせるように、しゃがんで言いました。

「僕・・・手裏剣が遠くに飛んじゃったんだ。お城に当てるつもりだったのに・・・」

俊介はうなだれて下を向いて言いました。

「そうだったのか。それは悔しかったねえ。」

高田さんが優しく言いました。

「うん。キョウタが拾ってくれたのに・・・」

俊介は目に涙を浮かべて言いました。

「そりゃあ、仕方ないよ。悔しくて素直に謝れなかったんだろ?」

高田さんが俊介の肩に手を置きながら言いました。

「ごめん、キョウタ。取ったなんて言って。」

俊介はつぶやくように言いました。

「僕もごめん。下手なんて言って。」

キョウタは俊介のそばに寄りながら言いました。

「キョウタは、手裏剣を投げるのが得意だから、俊介にコツを教えてあげたら?」

高田さんがキョウタの方を見ながら言いました。

「良いよ。俊介、手裏剣をこう持って。肩の力を抜いて手首の力で投げるんだ。やってみてよ。」

キョウタが俊介の手首を持ちながら、やり方を教えました。

俊介はキョウタの指示通りに投げてみました。

あとチョットでお城の屋根に当たるところでしたが、外れました。

「もう1回やってみて。コツはつかんできたみたいだよ。」

高田さんが励ますように言いました。

俊介は、もう一度肩の力を抜いて、手首のスナップを利かせて投げました。

今度はお城の真ん中に当たりました。

「やった!当たった、ど真ん中!」

大声で歓声をあげたのは、キョウタでした。

「うん、当たった。嬉しい。」

俊介もちょっと照れながら言いました。

「ありがとう、キョウタ。ありがとう、高田さん」

俊介は2人にお礼をして、にっこり笑いました。

高田さんは、その場を離れて行きました。

 

高田さんはいつも子ども達の様子を見守ってくれています。

そして何かあった時は、すぐに駆けつけて、問題を解決する手助けをしてくれるのです。

俊介とキョウタは、仲良くトランポリンを跳んでいます。

 

今日のコミュニケーションは、「どっちが好きでしょう?」です。

部屋を半分に分けて、好きな方に移動します。

「パン」と「ご飯」とか「電車」と「飛行機」とか「犬」と「ネコ」とか、色々な課題が出て、どっちが好きかを決めます。

「犬」と「ネコ」のお題の時、俊介は迷わず「ネコ」の方に移動しました。

キョウタは「犬」の方に移動しました。

移動した所に集まった子ども達で、何故そう思うのかを話します。

「この前、でぶっちょネコが、うちのベランダのフェンスを通り抜けようとして、お腹がつかえて、フェンスに挟まっちゃったんだ。面白かったよ。」

俊介が楽しそうに話しています。

なんと!そこだけをクローズアップしなくても良いじゃない。必死だったんだから。今でも思い出すとゾッとするわ。

「えーっ!可哀想。怪我はなかったの?」

保育園に通っているモモカが心配そうに言いました。

本当に優しい子です。モモカは3人姉妹の1番上です。

「大丈夫だったよ。別のところからベランダに入って来たんだ。でぶっちょだから、僕には抱けなかったけど、色々話を聞いてくれた。」

俊介は思い出すように言いました。

「あの時は、最悪だったからでぶっちょに話ができて良かったよ。」

私でも役に立っていたようで、本当に良かった!

 

今日のお絵かきタイムは「好きな絵を描く」です。

テーブルには、絵の具・クレヨン・色鉛筆・マジックなどが用意されています。

画用紙に好きな絵を描いていきます。

モモカはお姫様の絵を描いています。

キョウタは飛行機が飛んでいる絵を描いています。

リョウは恐竜の絵を描いています。

ジュリは家族でピクニックをしている絵を描いているようです。

トオルは殴り書きで線をたくさん描いています。

俊介は、ネコを抱いている絵を描いていますが、どうみてもネコの方が俊介よりも大きいように見えます。

巨大じゃないの?そんなに大きいはずはないわ!俊介を食べようとしているゴジラみたいじゃないの。ひど過ぎる。ううっ

 

1人ずつ絵の説明をします。

俊介の番になりました。

「僕とでぶっちょネコだよ。一緒に話をしてるんだ。」

俊介が説明すると、

「そんなに巨大なネコ初めて見たよ。話をするの?」

リョウが怪訝そうに聞きました。

「でぶっちょは鳴くだけだけど、何だか僕の話に答えて鳴いているように感じるんだよ。だから話してるって思ったんだ。」

俊介は思い返しているように言いました。

「いいなあ、私もそんなネコに会ってみたい。」

ジュリが羨ましそうに言いました。

ジュリ、きっと会えると思うよ!私は心の中で誓いました。

 

今日の「ミュージックタイム」は、リトミックです。

リトミックは、音楽に合わせて身体を動かしたり、手拍子をとったり、ダンスをしたりします。

インストラクターのさゆりさんが、前でみんなに指示を与えます。

キーボード担当のみさこさんが、音楽を流し始めます。

 

俊介はこれが苦手です。音楽に合わせて身体を動かしているつもりでも、身体の動きがギコチないのです。

リズム感というものは、持って生まれたもので、自然に身体が動く人もいますが、なかなか難しい人もいます。

俊介はリズムに乗ることができないので、いつも教室の端っこで座って見学しています。

リトミックが始まって、みんなはリズムに乗りながらサークルの周りをそれぞれの動き方をして回っています。

トオルが俊介のそばに来ました。ヘンテコな踊りみたいな動きをしています。

「俊介もやってみなよ。面白いよ。」

トオルは手をクネクネさせながら言いました。

「僕そういうの苦手だから・・・」

俊介は躊躇しています。動こうとしません。

「ほらっやってみなよ。こうやって手をクネクネさせるの。」

トオルが見本を見せながら言いました。

俊介はまだためらっていましたが、おもむろに手を動かしてみました。

クネクネ、クネクネ。

「うまいじゃないか。その調子。今度は足も動かしてみて。」

トオルは腰を振りながら足をブルブルさせました。本当に奇妙な動き方です。

俊介も真似してブルブルしてみました。

「すごい!1回でできるなんて、天才だ!。」

トオルは笑顔で言いながら、俊介の横で踊っています。

俊介も笑いながら、トオルの横で踊り始めました。

「面白そうだね。」

途中からリョウも入って来てヘンテコ踊りを始めました。

いつの間にか3人ともサークルの中に入って踊りながら回っていました。

俊介は楽しそうに踊っています。

身体の動きはまだぎこちないながら、リズムに乗って踊っています。

キョウタは元々リズム感が良いので、踊りも得意です。ヒップホップ系の動きでなかなか決まっています。

でも、リョウとトオルは本当は踊りが苦手です。

リズムに乗ることも難しいのです。

でも、トオルは独自のヘンテコ踊りで、リズム感のなさを克服したのです。

「自分の感じたまま表現すれば良い」とインストラクターのサユリさんがいつも言っています。

トオルは感じたままクネクネ踊りを開発したのでしょう。

リズムに乗っていなくても良いのです。

俊介が初めてリトミックに参加することができたのも、トオルのおかげです。

トオルは、リトミックが苦手なので、俊介の気持ちがわかったのでしょう。

だから、誘ってくれたのかもしれません。

子どもの力は偉大です。

キョウタにしてもトオルにしても、わずか5歳で、友だちの気持ちが分かって、助けてくれようとしています。

私は見ていて、心がポカポカ温かくなりました。

 

今日の「レインボータイム」はドミノ倒しです。

色々な色が塗ってある木の板を並べていきます。積み木を使ったりブロックを使ったりしても良いです。

俊介は色板を使って慎重に並べています。所々ストッパーを入れながら真剣な眼差しです。半円になるように綺麗に並べています。

キョウタはこれが苦手なのです。

手先が不器用な上、そそっかしいのですぐに倒してしまいます。

数枚並べては倒してしまって、しまいには癇癪を起こしてドミノの板を滅茶苦茶になぎ倒してしまいます。

俊介が並べていると、横のキョウタがまた倒してしまいました。

「クソッ!また倒れた!こんなの何回やっても時間の無駄だ!」

キョウタは怒って今にも爆発しそうに言いました。

「キョウタ、ストッパーをつけておけば大丈夫だから。」

俊介がストッパーを渡しながら言いました。

「でも、すぐに倒れるから嫌なんだ。」

キョウタはふくれっ面で言いました。

「それじゃあ、僕と一緒にやってみようよ。僕が並べるから、キョウタはストッパーを入れてよ。」

俊介は、自分のドミノをキョウタのドミノとつなげました。

そして、慎重にドミノを並べていきました。10個ほど並べた後に、

「キョウタ、ストッパーの出番だよ」とドミノを手で押さえながら言いました。

キョウタは真剣な眼差しでドミノを見ています。

そして、恐る恐るストッパーをドミノの前に置きました。

今までにない慎重さでそーっと置いています。

「やったー!置けたぞ。」

「丁寧に置いてくれてありがとう。」

俊介が笑顔で言いました。

キョウタもニコニコしています。

その後も俊介とキョウタのコンビでドミノは見事に完成しました。

みんなのドミノを繋げて、最後はいっぺんに倒していきます。

カタカタカタとドミノが気持ちよく倒れていきます。

「わあ!すごい。うまくいったね!」

モモカが手を叩きながら言いました。

ジュリもドミノの周りを走りながら手を上げて喜んでいます。

キョウタは俊介とグータッチをして喜びを分かち合っています。

トオルとリョウも踊りながらドミノの周りを回っています。

みんなで力を合わせてドミノを作ったこと、うまく最後までドミノがきれいに倒れたことが嬉しかったのでしょう。

達成感を味わうことができます。

 

さよならの時間になりました。

俊介はキョウタとハグをしています。

 

俊介のお母さんが私の方に来て言いました。

「今度お時間のある時で良いので、ご相談したいのですが。」

「いつでも良いですよ。もし良かったら、今からでも良いですよ。俊介だったら、スタッフのまりこさんと太郎さんがついていますから心配いりませんよ。」

私は笑顔で言いました。

俊介のお母さんはしばし考えていましたが、「それでは、お言葉に甘えて今からお願いします。」と言いました。

 

俊介は、まりこさんと太郎さんと一緒にウエイティングルームに入って行きました。

きっと図鑑を見たいのでしょう。

図鑑に載っていたことを、延々とまりこさん達に話すのでしょう。

 

私と俊介のお母さんは、レインボーサロンに入りました。

「何か飲みます?」

私は自分が喉が渇いているので、カモミールティーを入れました。

俊介のお母さんもカモミールティを入れていました。

2人で飲み物を持ってソファーに座りました。

何か相談があるようですが、まずはお茶を飲んで心を落ち着けてからと思ったので、私は黙ってお茶を飲んでいました。

しばらくして、俊介のお母さんが話し始めました。

「この間、俊介が幼稚園のお友だちに大怪我をさせてしまって。」

俊介のお母さんは思い出したくないというように首を振りました。

「相手のお子さんは、頭を打って救急車で病院に運ばれたそうです。頭の手術をして、今も入院しているんです。」

俊介のお母さんは辛そうに下を向いたまま話しました。

「私、俊介を一方的に叱ってしまったんです。

だって相手に怪我をさせるなんて、なんということをしてくれたんでしょう。

私は主人と一緒に相手の家に行って、謝りました。

2人で病院にも行ってお見舞いもしました。

相手の方はとても良い方で、『子どものことだから』って言って許してくださいました。

お医者様は、後遺症はないだろうと言っていたそうです。

治療費を払うって言ったんですが、保険で賄えるから良いっておっしゃって。」

俊介のお母さんは、ハンカチで目元を押さえながら言いました。

「良かったじゃないですか。相手の方が良い方で。」

私はホッとして言いました。

「ええ、そうなんですけど・・・

主人が俊介の話を聞いてくれたんです。

主人は、『どっちもどっちだな』と言ってました。

俊介がブランコを無理に奪おうとしたことは悪いけど、相手が怪我をしたのは、事故みたいなものだって言うんです。

私にはそうも思えなくて、俊介さえブランコを奪おうとしなかったら、そんな事故は起こらないはずですし・・・」

俊介のお母さんは私の目を見つめながらキッパリと言いました。

「まあ、そうですけど。子どもの世界ではよくありますよ。売り言葉に買い言葉って言いますでしょ。」

私は「奪えるもんなら奪ってみろ」と相手の子どもが言ったことを伝えたかったのですが、モチロン言えません。

だってあの時はネコだったんですから・・・

「主人は俊介はとても優しい良い子だというのです。

過ちは犯すけれどそれは仕方がないって。

これから色々経験しながら成長していくんだから、温かい眼差しで見守ってやれって・・」

きゃー!良いこと言うわね、お父さん。

あの時の穏やかで優しい印象は間違ってなかったのね。

「私、俊介にひどいことを言ったんです。

もうあなたを育てる自信がなくなったとか、顔も見たくないとか、妹は絶対こんなことしないとか、他にも色々言いました。

もう少しで手を出していたかもしれません。」

お母さんは泣きじゃくりながら言いました。

俊介もショックを受けて傷ついていたけど、お母さんも辛い思いをしていたんですね。

カーッとなって思わず口走ってしまったんでしょう。

他の子どもに自分の子どもが怪我をさせるって、それも頭の手術をしたって、それは本当に辛いでしょう。

苦悩の日々だったと思います。

誰かに責任を押し付けたいと思うのも当然です。

でも、それが自分の子となると、結局は自分に返ってくるのですから、逃げ場がありません。

「辛かったですね。よく我慢していらっしゃった。俊介の様子はどうですか?」

私が聞くと、お母さんは遠くを見るような目になって言いました。

「あの日から、妙に礼儀正しくなりました。

余計なことは全く喋らなくなりました。

図鑑の話もあんなに延々と喋っていたのに、今は黙っているんです。

お父さんが帰って来ると、書斎に入って話をしているみたいです。

時々2人の楽しそうな笑い声が聞こえて来るんです。

でも、私の前では、遠慮をしているみたいに打ち解けてくれないんです。」

お母さんは、ハンカチを握りしめながら言いました。

「俊介はお母さんが大好きですよ。お母さんに心配をかけたことが辛いんでしょうね。」

私はお母さんの手に手を重ねながら言いました。

「そうでしょうか。私本当にあの子を育てていく自信がありません。また、誰かに怪我をさせたらどうしましょう?」

「お母さん、俊介はどんな子ですか?

暴力を振るって暴れる子ですか?

今日見てたら、俊介は苦手なリトミックもいつもみたいに見学しないで頑張って友だちと一緒に踊っていましたよ。

ドミノ倒しの時は、ドミノの苦手な友だちに手を差し伸べて一緒に作っていましたよ。」

私は今日の俊介の様子を話しました。

「俊介がそんなことを?」

お母さんはビックリして顔をあげました。

「そうですよ。俊介は優しい子ですよ。」

私は精一杯の俊介への愛情を込めて言いました。

「そうですか。俊介が・・・」

「あ母さん、俊介があんなに優しいのは、お母さんが愛情を込めて俊介を育ててこられたからじゃないですか。

図鑑を一緒に見たり、俊介の話をちゃんと聞いてあげたり、俊介の得意なことを伸ばしてあげたりしたから、あんな良い子に育っているんですよ。」

「そんな、当たり前のことをしているだけです。」

お母さんは照れながらそう言いました。

でも、笑顔が戻っていました。

「私、俊介ともう1度話してみます。

主人の言った通りだったんですね。

主人はあの子の良いところをたくさん知っているんです。

似た者同士ですから・・・」

ふふふと笑いながら、お母さんはニコニコしながら言いました。

 

俊介の宇宙の話が延々と続いているウエイティングルームに私とお母さんが入って行きました。

まりこさんと太郎さんはニコニコしながら俊介の話に聴き入っています。

「俊介、お待ちどう様。まりこさん、太郎さん、ありがとうございました。」

俊介のお母さんが笑顔で言いました。

「お母さん、もうお話終わったの?まだまだこれからだったんだけどな、また今度にするよ。」

俊介は図鑑を棚に戻しながら言いました。

「帰ったらお母さんにも聞かせてね。」

お母さんが言うと、100ワットの明かりがついたように俊介の顔が明るく輝きました。

「うん、良いよ。たくさんあるんだ。」

俊介は嬉しくてしょうがないという感じで、お母さんの手を握りしめました。

「まりこさんと太郎さん、話を聞いてくれてありがとう。レインボーばあば、さようなら。」

 

俊介はお母さんと手を繋いで、駐車場の車のあるところまで歩いて行きました。

赤い車に乗って、窓から俊介が手を振りました。

お母さんは軽く会釈をしました。

私は、赤い車が通りを遠くまで走り去るまで、ずーっと見ていました。

 

俊介はまだ5歳です。

これから小学校に入っても、色々な問題が起こるかもしれません。

お母さんが子どもを信じて丸ごと愛してあげることが、俊介の成長に大きな影響を与えます。

幸い、お父さんは俊介を理解して『温かい眼差し』で見守ってくれているようです。きっとお母さんを支えてくれると思います。

 

俊介と家族の幸せを願っているレインボーばあば(マダムM)でした。

とらネコせんせいの物語は、まだまだ続きます。

楽しみに待っていてくださいね!

私も楽しみだニャン(マダムM)