私の愛するとらネコ「ミューニャン」が天国に旅立ってから1年が過ぎた頃、私の身体に異変が・・・

そうなんです。私は昼間は「レインボー塾」の先生として、夜になると、とらネコの「マダムM」として、ネコの仲間達と一緒に過ごす毎日を送っているのです。

 

今夜は満月で空が明るく輝いています。

しばらく散歩に出ていなかったので、久しぶりに月夜を楽しみながら、そよ風を感じることができました。

何で久しぶりかって?

実はマイダーリンと一緒に旅行に行っていたのです。

マイダーリンは、ドライブが大好きで、日本全国、何処でも車で行っちゃうんです。

今回は九州を廻る旅をしてきました。

美味しいものをいっぱい食べて、焼き物を見たり、お城を見学したり、温泉に浸かったり、自然を満喫したり・・・本当に楽しい旅行でした。って言ってる場合じゃなかった。

 

港の灯りが遠くに見えます。きっと水面にまん丸な月が映ってユラユラ揺れていることでしょう。

ここは小高い丘の上にある公園です。

近くに博物館や図書館があって、昼間は広い歩道を人々がゆったりと散歩をしている所です。

 

今はひっそりとして、街灯の灯りに照らされた木々が静かに佇んでいます。

丘に登るには、遊歩道を少し入った所にある階段を登っていきます。

丘の上の公園は小さくて、遊具が少しあるだけです。

ベンチも木の板で作られていて、のんびりと海を眺めたり、子どもが遊ぶのを見守ったりするのにうってつけです。

丘の下には、住宅やマンションが立ち並んでいて、ここは高級住宅街と言われています。

何をもって高級というのかは疑問ですけどね!

 

夜になるとここはネコたちの集会所になります。

私は息を切らしながら階段を登って公園の街灯の下にたどり着きました。

「おや、マダムM。ハアハア言ってどうしたのさ。」

シャムネコのアレキサンドリアがベンチの上で優雅に寝そべりながら言いました。

アレキサンドリアは血統書付きのシャムネコで、大きなダイヤのような目をしています。美しい!

「こんばんは、アレキサンドリア。綺麗な月の夜ね。」

私はハアハア言いながらベンチに近づきました。

「そうねえ。今夜の満月は綺麗ね。

階段を上るのがきついのかい?ダイエットには御誂え向きだけどねえ。」

「そうなんだけど、なかなかできなくてね。」

「肥満は身体に悪いってよ!」

意地悪な声が聞こえたと思ったら、三毛猫の万次郎です。

オスの三毛猫は珍しいそうで、幸運を招くとも言われています。

まあ、万次郎が幸運を招くとは思えないけどね!

「こんばんは、万次郎。元気そうね!」

私はベンチの下で毛づくろいをしながら言いました。

万次郎もベンチに近づいて来ました。

本当に惚れ惚れするほどスリムな身体です。身のこなしもシャープで、カッコイイです。

「マダムM。この頃どうしてたんだ?見かけなかったね。」

「ちょっと旅に出てたからね。あちこちのネコと友達になったのよ。」

「へえ、面白そうだな。俺は図書館でいつも昼寝していたよ。」

図書館は大きくて、もちろん誰でも利用できます。

図書館の周りには木々が生い茂り、綺麗な花壇に囲まれた広場には、ベンチも置いてあって、住民の憩いの場になっています。

「やあ、マダムM。久しぶりにその巨体を見たよ。元気そうだな。」

誰かと思ったら、この辺では珍しい野良猫の「長老」でした。

この高級住宅街と言われている地域では、大きな邸宅が立ち並び、それに合わせてか、血統書付きのネコ達が優雅な日々を送っているのです。

野良猫の「長老」も、前は豪邸に住んでいましたが、家族が外国に引っ越したので、親戚にもらわれたのです。

でも遠くの場所だったので戻って来たそうです。

それからは、野良猫として頑張って生きています。

やっぱり住み慣れた場所が良いみたいで、他のネコ達が助けてくれているようです。

「長老、巨体はないでしょう。チョッとふくよかなだけよ!」

私はキッと睨みながら言いました。

「前よりふくよかになったような気がするがね。まあイイや。今夜は美しい満月だなあ。」

長老は、滑り台の下で顔を舐めています。

「そう言えば、住宅街を歩いている時に、大きな怒鳴り声とガシャンガシャンと物が割れる音がしてたけど、あれは何だったんだろうなあ。」

長老が背中を舐めながら言いました。

「僕もここに来る途中で聞いたように思うな。ガシャンガシャン割れてたような。3丁目辺りかな?」

万次郎がブランコの横で座りながら言いました。

「3丁目辺り?白い門がある家かしら?」

私は恐る恐る聞きました。

3丁目の白い門がある家は、レインボー塾に通っている徹の家なのです。

徹は小学校6年生で、大柄でイケメン男子です。

最近様子がおかしくて心配していたのです。

「そうだったかもしれない。白い門で、庭にはバラ園がある家だったような・・・でもブロック塀で囲まれた家の方だったかもしれない。よくわからないや。」

万次郎は申し訳なさそうに言いました。

「ここは、割合静かな住宅地だから、あんな大きな音は珍しいな。」

長老が肉球を舐めながら厳かに言いました。

「誰か知り合いがいるのかい?」

アレキサンドリアがベンチの上から優雅に首を傾げて言いました。

「そうなの。レインボー塾に通っている徹がその辺に住んでいるのよ。

最近チョッと荒れている感じで、この前も暴言を吐いていたし、心配していたのよね。」

私は正直に徹の話をしました。

「その子、ランドセルがやけに小さく見える大柄の子かな?」

いつの間に公園に来たのか、ペルシャ猫の「オスマン」が長い毛をなびかせて言いました。

「そうそう、6年生というより中学生より身長が高い子なの。」

私はオスマンに言いました。

「その子なら、3丁目の家で大暴れしていたよ。

飾り棚を何かで叩いて中のガラス製品をメチャムクチャに壊してたよ。」

オスマンが平行棒のそばで、長い毛を舐めながら言いました。

「徹が暴れてたの?大変!行かなくちゃ。」

私は大慌てで行こうとしました。

「マダムM。気をつけないと、ガラスが飛んできてけがをするわよ。」

アレキサンドリアが心配して言ってくれました。

「遠くから様子を見た方がイイぜ。」

万次郎もアドバイスをしてくれました。

「でも、徹が心配だから、とにかく行くね。」

私は、苦手な階段を飛ぶようにして(転がるようにしてが正しい表現かもしれない)走って行きました。

公園の階段を降りると、広い遊歩道が続いていて、天敵、犬の散歩をする人や、夜間ジョギングをする人が、あちらこちらに見えます。

遊歩道は左右に広がっていて、右側が3丁目と4丁目です。

3丁目の方に回っていくと、広い敷地を持つ豪邸が立ち並んでいます。

それぞれに趣向を凝らしたデザインの門や塀が連なっています。

家も特別注文をしたような、様々な建築様式で建てられています。

 

私は3丁目を、滅多にしないけど走って行きました。

ハアハア、ゼイゼイ、ハアハア、ゼイゼイ・・・もうダメかもしれない。死にそうよ!

横っ腹が痛くて休憩をしていると門が急に開いて、誰かが私を蹴り飛ばしたのです!

ヒエーっ!飛んでるわ、私。

ドサッ!私は道路にグッタリ横たわりました。

驚いたの何のって、急に世界がグルッと回ったんですから!

もう死んでいるの?私は目を閉じてじーっとしていました。全身が痛みます。

「クソっ!何かを蹴飛ばしちまった。」

声変わりした野太い声が降って来ました。

「エーッ!この辺にイタチは出ないはずだけど・・・」

野太い声が近くに寄って来て言いました。

イタチですって?失礼しちゃうわ。ネコですよ。ネコ!

「お前死んじゃったの?イタチ殺しになっちまったのか、俺。」

ニャニャ~ン

私はかすれた声で言いました。

「ワーオ!お前ネコなの?ビックリだなあ。こんな太ったネコが存在するんだ!」

声の主は、私の身体をさすりながら言いました。イタタ

「どこか怪我をしたのかなあ。大丈夫か?」

私を抱き上げようとして、目が合いました。

「徹?私を蹴っ飛ばしたのは徹だったの?」ニャニャニャーン

「何処も怪我していないみたいだな。良かった。」

 

徹はヒョイと私を胸に抱いて歩き始めました。

どうなっているのかよくわからなくて、私は徹の胸に頭をすり寄せました。

ドクドクドクドク、徹の心臓はせわしなく動いています。

 

徹は私を抱いたまま、図書館の横にある広場に行きました。

木々に囲まれた広場には、木のベンチが置かれています。

徹はベンチに腰掛けて、私を膝の上に乗せました。

「本当に何処も怪我してないか?ごめんな。

俺、頭が真っ白になって、いや真っ赤だな。

周りが見えてなかったから・・・」

徹は申し訳なさそうに言いました。二ャオーン

「そうか、大丈夫そうだな。あんな所で何してたんだ?」

それは、あなたを心配して、駆けつけたわけですよ。ニャーンニャーン二ャオーン。

驚いたことなどすっかり忘れて、徹のお腹に頭を寄せて丸くなりました。

 

しばらく木々のざわめきを聞いていました。

花壇からは、季節の花のいい匂いが漂ってきます。

街灯の光は、花壇で咲いている黄色やピンクの花々を優しく照らしています。

広場はとても静かでした。

 

「クソッ!今日もやっちまった。どうしても止められない。」

徹は大きな手で私の背中を撫でながら言いました。

「何をやっちまったんですかね?」ニャーン、ニャニャーン。

 

またしばらく沈黙が続きました。

徹は電池が切れたように放心状態になっていました。

きっとアドレナリンが切れた状態になっているんでしょう。

徹の手は傷だらけで、少し血が滲んでいます。

私は徹の手を舐めました。

ペロペロペロペロ。二ャオーン。

「痛いよ。でも仕方がないんだ。俺が悪いんだから・・・」

そうだった!私の舌ってザラザラしてるんだった。つい忘れちゃうのよね。ごめんね徹。ニャーンニャン。

「俺、自分でも嫌になるくらい・・・キレちゃうんだよね。」

そうなのね。キレる原因は色々あるだろうけど、いつもイライラして、モヤモヤしてるんだろうね。ニャーンニャーン、二ャオーン。

「世の中みんな敵だって思う。

誰も俺の気持ちなんかわかってくれない。

いつもいつも怒られたり責められたりするのは俺なんだ。」

そんな風に思っているんだ。世の中みんな敵だって。嫌だよね。

自分ばかり責められて辛いよね。

嫌なことばかり起こるって感じているんだね。ニャオーンニャンニャンニャオーンニャン。

「お前わかるの?今日も父さんが、『お前はウチの面汚しだ』って言ったんだ。『お前のせいで我が家はメチャクチャだって。』」

徹は悔しそうに拳を固めました。ブルブル震えています。

唇をギュッと噛んで、涙を流しながら・・・辛そうです。

 

私は、胸に這い上がろうとしました。

徹が握りしめていた拳をゆっくり開いて、私の身体を支えてくれました。

私は徹の少しヒゲが生えている顎を舐めました。

ザラザラ、ザラザラ。

「くすぐったいよ。お前って面白いな。」

徹は私の頭を撫でながら、照れ臭そうに言いました。

さっきより徹の身体の力が抜けたように思います。

目も少し和らいで、優しい表情になってきました。

「小さい頃から、いつでも俺が悪いって言われ続けてきたんだ。

俺身体が大きいだろ。

力も強いし、声も大きいから目立つんだよな。

喧嘩があっても、いつも俺が勝つし、力が入りすぎるから、相手が怪我をしてしまうんだ。

普通に物を持っても、壊してしまったり・・・

結局俺はダメな奴なんだよ。

家の面汚しって父さんが言った通りなんだよ。」

徹は下を向いて私と目を合わせました。

そんなことないよ!

徹は力加減が苦手なだけだよ。

ついカーッとなってしまうのは、怒りのコントロールができないからで、それはトレーニングで我慢できるようになるよ。

本来の徹は、優しい思いやりのある子どもだって私は知ってるよ!

どうやって気持ちを伝えたら良いのかわからなくなって、私は徹の首筋に頭を寄せてゴロゴロゴロゴロ盛大に喉を震わせました。

 

徹は私の背中からしっぽまで撫で下ろしながら、空を見上げました。

「今日は満月なんだ。狼男がでても仕方がないな。」

ヒエーッ!何を言ってるのこの人。狼男って満月の夜に変身するんだっけ?あなた、狼男だったの?

私はもがいて逃げようとしました。

でも大きな手で抑えられて動けない!

「大丈夫だよ!冗談だって、ハハハ。」

徹は大きな声で笑いました。

何だ。驚かせないでよ。一瞬徹が変身するところを想像してしまったわ。ブルル、こ、怖い!

徹はまだ肩を震わせながら笑っています。

でも、何だか元気になったようです。良かった。ニャーン

「俺、なんかモヤモヤしてたのが、少しマシになったような気がする。二ャオーンにはパワーがあるんだな。」

徹は私を胸に抱きしめながら言いました。

クッ苦しいんですけど!だから、力を入れすぎなんだよ!背骨が折れてしまうじゃない!ギャオーン

「抱きしめすぎた?大丈夫?」

徹は力を緩めながら言いました。本当に力が漲っていますね。

 

徹はしばらく月を眺めていました。まさか狼男になろうとしているのではあるまいね?

「ガラス製品を粉々にしちまった。

父さんが怒るのも仕方ないよな。

学校で先公を殴ったんだもんな。

『お前なんかクラスにいない方が良い』って言われてカーッとなってやっちまったんだ。

クラスの友達は俺の影響で悪くなったって。

俺がクラスを引っ掻き回してメチャクチャにしたって。

俺そんなつもりは全くないのに・・・

俺が全ての元凶だって言われて悔しくて・・・」

徹はポツリポツリと話し始めました。

そりゃあそうでしょうよ!そんなこと言われて黙っている方がおかしい!私だって引っ掻いてやりますよ!って言ってる場合じゃない。

 

「俺なんかこの世から消えて無くなってしまえば良いんだ。

生まれてこなければ良かった。

父さんも母さんも後悔しているんじゃなかな、俺なんか産んで。」

そんな!絶対違うよ!生まれてこなければ良かったなんてそんな悲しいこと言わないでよ!二ャオーンニャンニャンニャオーン!

あまりに悲しくて辛くて、私は徹の胸に手を添えました。

肉球でモミモミしながら、胸を撫でました。

「お前、変わってるなあ。」

徹は私を見下ろして背中を撫でながら言いました。

その手は大きくて、暖かくて、優しくて・・・安心できる感じです。

 

「そろそろ帰った方が良いな。

もう帰る家はないと思っていたけど、結局あそこが俺の家だし・・

家出するつもりだったけど、カーッとなってたから何にも持って来てないし・・・これじゃあどうしようもない。」

 

徹は私を抱いて立ち上がりました。

「ところで、お前、どこから来たの?」

そうだった。ここは私の家から遠く離れているので、マイダーリンが迎えに来てくれるはずなんだけど、いつ頃来てくれるのかはわからないし・・・ニャーンニャン

「そうか、お前も家出して来たのか。俺の家に連れて帰ろうか?」

いえいえ、家出したのではありませんから。私のことは気にしないで良いから・・・

 

徹は私を抱きかかえながら、ズンズン歩いて行きます。

図書館の広場を離れ、木々の間を抜けて、遊歩道の上を大きな歩幅で通り過ぎて行きます。

白い門が見えて来ました。

バラ園の芳しい匂いが風に乗って漂ってきます。

徹は門の隙間から家をジーっと見ていました。

「徹なの?」

心配そうな声が聞こえたと思ったら、玄関からお母さんが駆け寄って来ます。

お母さんは華奢な体つきの上品な女性ですが、今は心配でやつれた顔をしています。

「徹、心配したのよ。どこに行ってたの?」

お母さんは徹の大きな身体を抱きしめました。

えーっと私は徹に抱かれているので、一緒に抱きしめられてもムギューっとなってしまって・・・ニャオーン

「徹、この子は誰?」

お母さんが私に気がついて尋ねました。

「太ってるけどネコだよ。名前は知らないけど・・・俺こいつを蹴っ飛ばしちゃったんだ。」

徹は私をお母さんに見せました。

「この子首輪つけてるわ。『マダムM』って名前なのね。

きっと飼い主さんが心配していると思うわよ。」

不覚にも、私首輪なんかつけてたの?名前が書いてあるのか。知らなかった。きっとマイダーリンがこっそり付けたのね。ううっ

「そうか、マダムM。家に帰るんだな。さよなら。」

徹は私を道路にそーっと置いて見下ろしました。

ニャーンニャーン

私は徹の足首に身体を擦り付けて回りました。

「別れたくないのかな?」

徹が言うと、

「さようならって言ってるのよ。」とお母さんが、ニコニコしながら言いました。

「父さん、まだ怒ってる?」

徹が心配そうに言いました。

「書斎に入ったままよ。きっと言いすぎたって思っているわ。」

お母さんが優しく徹の肩を抱きながら言いました。

2人は肩を寄せ合ってバラ園の横を通り過ぎて玄関に向かいました。

私は2人の後ろ姿が玄関に消えるまで見ていました。

 

そうそう、マイダーリンは、多分図書館の駐車場に来ているはずね。私は急いで図書館の駐車場に向かいました。

さっき徹と私が座っていたベンチで、マイダーリンは月を眺めていました。

まさか!マイダーリンも満月の夜に狼男に変身するのでは?

私は恐る恐る近づきました。

「ガオーッ!」マイダーリンが大声で叫びました。

ギャー!私は背中の毛を逆立てて飛び退きました。フーッツ

「ごめんごめん。あんまり綺麗な満月だったから、ついその気になってしまった。」

そう言いながらマイダーリンは私を抱き上げました。

許さないから!フン。引っ掻いてやろうかしら?

「今日はどうたった?」二ャオーン、フン!

 

 

数日後、レインボー塾に徹がやって来ました。

今日は、徹のグループ、6年生のSSTがある日です。

徹はお母さんと来ましたが、目を合わせることなくウエイティングルームに入って行きました。

徹のお母さんは、「ちょっとお話が・・・SSTの後でも構いません。」と伏し目がちに言いました。

「そうですね。でも、今すぐの方が良いみたいね。レインボーサロンは他の保護者の方がいらっしゃるから、ダイニングルームに行きましょうか?スタッフがいるので、SSTは大丈夫よ。」

私はお母さんの憔悴しきった様子を見て、早く話を聴く方が良いと判断しました。

私は、スタッフのまりこさんと太郎さんにSSTをお願いして、お母さんと一緒に階段を上がりました。

ダイニングルームは2階にあります。

2階は、個別指導の部屋が5つとキッチン、ダイニングルーム、教材室、スタッフルームなどがあります。

キッチンはイベントなどで調理する時などに使います。

キッチンの横にダイニングルームがあります。

広いテーブルには8人が座れる椅子が用意されています。

食器棚には、お皿やグラスやカップなどが入っていて、調理した後に盛り付けられるようになっています。

 

「何か飲み物はいりますか?コーヒーか紅茶かハーブティーがありますよ。」

私はドリンクバーでハーブティーを入れながら尋ねました。

「それじゃあ、私もハーブティーをお願いします。」

お母さんはか細い声で言いました。

「カモミールティーが気分を落ち着かせてくれます。」

私はダイニングテーブルにティーセットを置いて座りました。

 

「徹は元気がないようでしたが、どうしました?」

お母さんはカップを見つめながら、ずーっと黙っているので、話しにくいのかもしれないと思って尋ねてみました。

「徹、先生を殴ってから、学校に行っていないんです。」

お母さんはポツリとそれだけを言って、また黙り込んでしまいました。

「先生を殴ったんですか?徹が?」

私は、本当は知っていたんですが、知らないふりをして驚きました。だって、ネコの時に聞いた話だもの。

「学校に呼び出されて、校長先生に話を聞いたんですが、徹が先生を殴ったとしか・・・

何か事情があると思ったんですが、校長先生の話では、徹はいつも問題を起こして、教師に対しても日頃から反抗的で、暴言や暴力が絶えなかったと・・・

徹のせいで学級は乱れていて、授業が成り立たないとか・・・」

お母さんは堰を切ったように話し始めました。

「父親は、その話を聞いて激怒して、徹に酷いことを言ったんです。

そうしたら、徹が暴れ出して、自分の部屋の中にある物を次々に壊して、ついに玄関ホールにある飾り棚までメチャクチャに壊してしまって・・・

父親は、徹を施設に預けた方が良いと言うんです。

親では手に負えないからって・・・」

お母さんはそう言うと、泣きじゃくってしまいました。

事は深刻です。施設に預けてうまくいくのでしょうか?

お母さんにティッシュの箱を渡してから、私は窓の方に行きました。

 

窓からは、芝生が植えてある庭が見えます。

今日のウォーミングアップは、外でフリスビードッジをしているようです。

芝生に丸くロープで境目を作って、外野と内野でフリスビーを投げあいます。

フリスビーはスポンジで出来ているので、当たっても痛くありません。

6年生は女子が3人います。チカ・マユミ・スズカです。(第5話 とらネコせんせい跳ぶ)

男子は、徹・ジュンヤ・ショウの3人です。

6人が2対4で外野と内野に分かれてゲームをしています。

スタッフのまりこさんと太郎さんの他に、作業療法士の高田さんも一緒に見守っています。

私は、しばらく窓の外を眺めていました。

 

お母さんが少し落ち着いたので、ダイニングテーブルに戻りました。

「徹は何て言っていましたか?」

私は穏やかな声でお母さんに尋ねました。

お母さんは、目を真っ赤に泣き腫らしてこちらを見ました。

「徹は、先生が『お前はこのクラスをメチャクチャにした元凶だ。クラスから消えろ』と言われたから、カーッとなって殴ったと言っています。」

「先生がそんなことを・・・」

私が驚くと(モチロン徹に聞いて知っていたんだけどね。何しろネコだったから・・・)

「徹の話は本当だと思います。

徹が学校に行かないものですから、友達が毎日学校の帰りに家に寄ってくれるんです。

その友達の話では、先生は授業ができない状態だそうです。

みんながおしゃべりをして、先生の話を聞かないとか。

先生が注意しても反抗的な態度でワザと大声で話をしたり、教室を歩き回ったりしているそうです。

徹だけではないそうで、みんなが先生を嫌ってやっているそうです。

でも先生は、クラスがこうなったのは、徹がみんなを誘導しているせいだと思っているそうで。

だから、あの日先生は『お前はクラスの元凶だ。クラスから消えてしまえ。』と言ったのも事実なんだそうです。

徹はあんな性格ですから、カーッとなって手が出たのもわかるような気がします。

決して良いことではないけど、そんなことを言われたら、怒って当然だと思うんです。

ですが、学校側は、徹の暴力だけを取り上げて、その原因は全く考慮に入れようとしません。

このままでは、徹は学校に行けないし、主人は施設に入れるって言うし・・・どうしたら良いのか途方に暮れています。」

私は涙でいっぱいのお母さんの目を見つめました。

「ご主人には、その話をしたんですか?徹が暴力を振るった原因の話です。」

お母さんはティッシュで涙を拭きながら首を振りました。

「それが、徹が家で大暴れした時から、話を聞こうとしないんです。

主人は弁護士をしています。

息子が不良になったら仕事にも影響が出ると言ってます。

頭から徹が悪いと決めつけているんです。

私の言葉なんて耳に届いていないように思います。」

お母さんは、下を向いて唇を噛み締めています。

 

夫婦で話し合えないことがどんなに辛いことか!

意見の違いがあっても、とことん話し合える関係であれば、一時は喧嘩みたいになっても、最後には解り合えるものです。

でも、話ができない状態では、進展がありません。

聞く耳を持たなければ、お互いに信頼して本音が言える関係にはなりません。

お母さんはとても辛い思いをして、今日まで頑張ってきたんだなあと心から思いました。

 

「お母さん、辛かったですね。1人で悩んでいらっしゃったのですね。どうしたら良いか一緒に考えましょうね。」

私はお母さんの手に手を重ねて言いました。

「まず、ご主人と話をしなければいけませんね。もし良かったら私がお話しますよ。」

私はお母さんの手を見つめながら言いました。

お母さんがハッと顔を上げました。

「主人が聞く気になるかどうかわかりません。

あの子のことはもう諦めているみたいなんです。」

お母さんは自信なさげに言いました。

「一人っ子の息子を諦めるなんて、そんなことできるのでしょうか?

どんなに難しい問題があったとしても、我が子なんですから・・・」

「でも主人は『もうあの子は自分たちの手に負えない子どもになっている』って言ってました。」

「今はそう思えるかもしれませんが、だからこそ今が大事だと思いますよ。

徹は小さい頃から人に責められて苦しい毎日を過ごしてきたんです。

何をしても、お前が悪いと言われ続けていれば、どんな子だって落ち込みますよ。

自尊感情がズタズタになって、そういう弱いところを守るために、心にトゲトゲの鎧を着けているんです。

だから反抗的になったり、攻撃的になったりしていると思います。

苦しくて辛いから、大人を信頼できないんです。

だからこそ、徹の話を聴いて、気持ちに寄り添う味方が必要だと思いますよ。

お母さんが、あの子の気持ちを分かってくれているではないですか?

お母さんがいるから、あの子も救われるんだと思いますよ。」

お母さんは大きく目を見開き、ポロポロと涙を流しました。

「あの子は本当はとても優しい子なんです。

近所の小さな子どもたちとも一緒に遊んであげたり、家事を手伝ってくれたり、父親が不在がちなので、本当に助かっているんです。」

お母さんは少し明るい声で嬉しそうに話してくれました。

「そうですよね。私もそう思いますよ。

本来の徹が今は少し隠れているんですよ。

でも、毎日来てくれる友達は、本当に徹のことが好きなんだと思いますよ。

徹が優しい子なのを知っているんですよ。」

お母さんはウンウンと頷きながら、ティッシュで涙を拭いていました。

 

しばらくお母さんは窓の方を見ていました。

私も黙って窓の景色を見ていました。

木々が2階にも伸びていて、緑の葉が陽の光を浴びて輝いています。

 

お母さんが何かを決意したようなキリッとした目で言いました。

「私、主人ともう一度話をしてみます。

今度はもっと私の意見を聞いてもらうように努力します。

学校の先生たちとも、もう一度話し合ってみます。

このままじゃ、学校に行かないまま卒業なんてことになってしまいます。

施設に入れるなんて冗談じゃない!

私がお腹を痛めて産んだ、たった1人の息子です。

命を懸けてでも守ってみせます。」

 

私は、凄く勇ましくなったお母さんを、呆然と見つめていました。

何が彼女を変えたのか全くわかりませんが、今のお母さんは自信に満ちています。

徹を思う気持ちが、お母さんを強くしたのかもしれません。

 

 

1階に降りて、お母さんはレインボールームへ入って行きました。

6年生の保護者たちは、それぞれに悩みを抱えていますが、今ではみんなとても仲が良いです。

悩みがあれば、みんなで一緒に考えて、解決の方法を見つけようとして話し合います。

色々な経験をしてきた保護者です。

学校とのトラブルや担任とのいざこざや、親戚とのバトルなど、辛酸を舐めてきた、つわものです。

きっと徹のお母さんにも良いアドバイスをしてくれるものと信じています。

 

私はSSTをやっている教室に入って行きました。

今日のSSTのテーマは『怒りのコントロール』です。

丁度、ロールプレイが終わって、みんなでどうやったら怒りをコントロールできるのかを話し合っているところでした。

太郎さんがリーダーをしています。

「どうしたら怒りをコントロールできると思う?」

「そんなの無理だよ。カーッとなったら頭が真っ赤になって突っ走ってしまうんだもん。」

徹が当然のことのように言いました。

「それで失敗するんだよね。俺も」

ショウがデヘヘと笑いながら言いました。

「笑ってる場合じゃないでしょ。ショウは失敗するって言うけど、その後どうしてるの?」

チカが呆れ顔で尋ねました。

「そうだな。大抵は俺が怒られて、またキレて、また怒られて、またキレてってこんな感じ。」

「本当にしょうがないねえ。キリがないじゃない。怒られないためにも怒コンできるようになっておいた方が良いんじゃない。」

スズカがチカとマユミと顔を合わせながら言いました。

「俺もそう思う。結局ブチ切れても、最終的には自分が損するわけだから、キレない方法を身につけた方が得だと思うな。」

ジュンヤが落ち着いた声で言いました。

ジュンヤはショウや徹と違って、感情を表に出さないタイプなのです。

怒りもカーッとなることはなく、フツフツとたぎらせるような形で現れます。

それはそれで心配ではありますが。

今日のテーマを客観的に見ることができる子どもです。

 

「俺はいつもキレてばかりだな。この前も家で暴れてガラスを粉々にしたし。」

徹が少しションボリして言いました。

「そりゃーやっちまったなあ。後でガラスを片付けるの大変だったろう。」

ショウは同情するように言いました。

あんた、気にするのそこ?私は内心呆れていましたが、後ろで静かに見ていました。

「やっぱり怒コンが大事だよ。特に徹にはさあ。」

チカがサバサバ言いました。

「そうだな、俺も内心もうヤバイと思ってるんだよな。」

徹が下を向いて言いました。

 

「私は、落書き帳に嫌なことを書いて、その上から鉛筆で塗りつぶしていくの。ページが真っ黒になるまで塗り続けるの。」

「うわーなんか怖~。」

ショウが大げさな声を上げて怖いジェスチャーをしたので、みんなが笑いました。

「そんなに怖くないわよ。私はとにかく電車に乗りまくるな。地下鉄にも色々あるからね。」

さすが鉄女のスズカです。電車大好きっ子なので、駅名から路線図までみんな頭に入っています。

「私は世界史の本を見るかな?無いときは、歴史上の人物を思い浮かべるの。アレキサンダー大王とかクレオパトラとかね。そうすると気持ちが収まって、大したことじゃなく思えるの。」

歴女のマユミがうっとりした顔で言いました。

「良いねえ。他にないかな?」

太郎さんがホワイトボードに書きながら言いました。

「俺は、深呼吸するな。リラックスできるしね。」

ジュンヤが深呼吸をしてみせました。

「それも良いねえ。他にはない?自分だけのとっておきを言ってくれたら嬉しいな。」

太郎さんがみんなを見渡して言いました。

「俺は、とにかくそこから離れるようにしてるな。」

ショウが今度は真面目な顔で言いました。

「徹はどうしてる?」

ショウが聞きました。

「そうだな、今まであんまり考えたことなかったな。

俺もその場を離れれば良かったんだな。

深呼吸して気持ちを落ち着かせていれば、あんなことしなかったかもしれない・・・」

徹は何かを思い浮かべているような、遠くを見る目で答えました。

「おーい徹。どこへ行っちゃったんだ?帰ってこーい。」

ショウが徹の目の前で手をヒラヒラさせて言いました。

「俺真剣に怒コンするよ!どうしたら良いのか教えてよ!」

徹がキッパリと気持ちを決めたように言いました。

 

「どんな方法だって良いんだ。

自分の心の中にゲームのコントローラーのような物をイメージしてみて。

怒りを感じた時に、そのコントローラーを使って怒りを鎮めるんだ。

自分が深呼吸が良いと思えば、それがコントローラーになる。

その場を離れるのが良いと思えば、それもコントローラーなんだ。

自分に合った方法を考えて欲しい。

ウォーミングアップの最後にリラクゼーションをやってるだろ?

あれだってコントローラーになるよ。」

太郎さんが色々な方法を説明しています。

まりこさんがそれをホワイトボードに書き出しています。

「大事なのは、自分に合った方法という所だよ。」

太郎さんが赤線を引きながら言いました。

 

まりこさんがワークシートを配りました。

「これに、自分に合ったコントローラーを書いてね。

たくさん見つけてね。

怒りを感じるのは、色々な場面があるから、美味しいものを食べるって思っても、学校だとできないでしょ?

だから、どんな場面でも使えるように、たくさん見つけてほしいの。」

まりこさんは、みんなが書いているのを見ながら言いました。

「書けたら、1つで良いからみんなにも教えてあげて。」

太郎さんが言いました。

「みんなは友達のコントローラーを参考にしても良いけど、自分に合っているかどうか考えてね。」

まりこさんが付け足しました。

 

それぞれの心のコントローラーを発表した後、ゲームをしました。

怒りを感じる場面が書いてあるカードを読んで、その時にどうやって怒りをコントロールするのか実際にやってみます。

徹が引いたカードには

そうじの時間にA君とB君がほうきを 振り回していたら、ガラスに当たって われてしまった。B君は『ぼくはやっ ていない。A君が勝手にほうきを振 り回していてガラスがわれたんだ。』 と言ってにげた。結局A君だけが先 生から怒られた。

と書いてありました。

徹はじーっとカードを見つめていました。

「俺 B君をやろうか?」

ショウが言いました。

「私、先生をやるわ」

チカが言いました。

3人でロールプレイをしました。

徹は、その場を離れて、数を10からカウントダウンしました。

それでも、気持ちが治らないのか、歩き回ってブツブツ言っています。

「大丈夫、大丈夫、大丈夫・・・怒らない、怒らない、怒らない」

言いながら深呼吸をしています。スーハースーハースーハー

それから、みんなの所に帰って来ました。

「まだ、半分ぐらいしか怒りが収まっていない。でも、殴ったりする気はなくなった。」

徹はまだ肩をいからせていましたが、握りこぶしを固めた手は下に下ろしています。

「最初はそれで良いんじゃないか?」

ショウが徹の握りこぶしに触りながら言いました。

「そうよ、一気にカーッと突っ走ってないもん。上出来だよ。」

チカが徹の肩に手を置いて言いました。

「俺、コントローラー、コントローラーって頭の中で探してたんだ。色々やってみたけど、呪文を唱えるのが良いみたい。」

徹はチョッと照れ臭そうに言いました。

「自分がこれが効くって思うことをやってみるのが良いと思うよ。」

太郎さんが徹に近づきながら言いました。

 

今日のレインボータイムは、ジェンガをしました。

順番に木の板を積み上げていくゲームです。

徹はこれが苦手です。

手が大きい上に、手先が不器用で、うまく板を引き抜いたり積み上げたりすることが出来ないのです。

前にも失敗して怒ってジェンガの木の板をメチャクチャに投げ飛ばした過去があります。

今日も案の定、徹の番で板を引き抜く時に失敗してしまいました。ガラガラガッシャーン。

木の板は脆くも崩れ去りました。

徹は、その場を離れて、ウロウロ動き回っています。

ブツブツ呪文を唱えたり、深呼吸をしたり、手をグーに固めてからパッと開いたりしています。

みんなは、ハラハラしながら徹の動きを見守っています。

 

暫くして、徹がみんなの元に帰って来ました。

「みんな、ごめん。倒しちゃったよ。」

徹が言うと、チカとショウが徹に抱きつきました。

マユミとスズカは、拍手をしました。

ジュンヤがグッジョブと親指を立てました。

「凄いや、徹が怒コンできた!」

ショウが大声で叫びました。

「そんな凄いことじゃないよ。」

徹は照れ臭いのか、ぶっきら棒に言いました。

「だって、ジェンガを放り投げてないじゃん。大きな1歩だよ。」

チカが涙ぐんで言いました。

太郎さんもまりこさんもニコニコしながら見ていました。

私も胸が熱くなって、徹の顔を見つめていました。

 

帰りの時間になりました。

徹のお母さんが、私に近づいて言いました。

「レインボーサロンで他の保護者の方と話をしていたら、元気をもらいました。

ショウ君のお母さんが『我が子なんだから、どんなことがあっても、見捨てないで信じて、愛して支え続けるのが親だ』って言ってくれました。

私はショウのお母さんに会釈をして、ありがとうの気持ちを伝えました。

 

「レインボーばあば、今日はあまり見かけなかったなあ。

でも俺怒コンできたんだぜ!」

徹はガッツポーズをして笑顔で言いました。

「ちゃんと見てたよ。部屋の隅でね。今日はよく頑張ったね!嬉しかったよ。」

私は、徹の肩に手を置いて言いました。

「それじゃあ。また来るよ!さよなら。」

徹はニコニコしてお母さんに近づきました。

徹とお母さんは肩を寄せて帰って行きました。

 

徹にはまだまだ試練があることでしょう。

でも、徹を支えてくれるお母さんや友だちがいます。

お父さんもきっと理解してくれると思います。

 

学校との問題も解決しなければいけません。

疲弊しきった担任の先生の辛さがよくわかります。

学級崩壊といわれるものは、たくさんの学校で起きています。

担任の先生と子どもたちの関係がうまくいかないと、悪循環が起きます。

学校全体で取り組む必要があります。

担任の先生はどんどん追い込まれて、学校に来ることが辛くなってしまいます。

担任の先生を支えることが必要なのです。

そんなことを考えながら、徹の家の車(アルファロメオですよ)が走り去っていくのを見つめているレインボーばあば(マダムM)でした。

とらネコせんせい物語は、まだまだ続きます。

楽しみに待っていてくださいね!

私も楽しみ!(マダムM)